和魂洋彩~「伏漆彩沈金(ふししっさいちんきん)」


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2017年 石本愛子漆芸展「漆彩賛歌」DMより(兵庫県神戸市 竹中大工道具館)

金銀、色漆と「のみ」が生み出す繊細・優美な漆芸作品

石本愛子さんとその作品に初めて出会ったのは、1998年の「第3回現代作家地域代表作展」でのこと。
それは木をくるりと曲げたようにくりぬいた漆芸のオブジェで、闇夜の水面を思わせる漆黒の上を銀色の桜の花が川となって流れていました。
音のない静かな景色のなかにドキッとする色気を感じて、私はその「鼓響春棋」に"一目惚れ"したのです。
そしてその日の当番として会場にいた私は、偶然にも会場にいらした石本さんとお会いしてお話もでき、その暖かなお人柄にも惹かれたのでした。

そして数年後、駒ケ根の展覧会場で「渓風」を見た時は、その緻密で繊細な風景描写に衝撃を受けました。
波打つ木地の上の漆に刃をもって刻まれた5月の清流の風景、その美しさときらびやかさに引き込まれ、長い間作品の前で足を止め、見入ってしまいました。

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「渓風」

この作品と対峙していると、目の前に静かで清らかな渓流の風景が浮かんできます。
川面を浮遊するカゲロウを狙い、水面近くを泳ぐアマゴたち。
川面にさざ波を立てた川風にカゲロウは舞い上げられ、カエデの葉の裏で羽を休めます。

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「渓風」(部分)

私は魚たちに気付かれないように、流れをそっと覗き込みます。
川面は日の光を反射してきらきらと光り、白波をアマゴの背と見間違えてしまいそうです。
息を殺しながらじっと目を凝らしていると、上流に頭をむけ、尾をゆらめかせるほっそりとした魚たちが見えてきます。

「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで始まる小説「夜明け前」。馬籠に生まれた島崎藤村の広く知られたフレーズのとおり、木曽谷を南北に貫く木曽街道(中仙道・国道19号)の左右には山が迫ります。
谷を流れる奈良井川沿いのわずかな平地に開けた集落が、歴史ある漆器の町である木曽平沢です。
日照時間が比較的短く湿度も高い木曽谷は漆器産業に適し、平沢は信州を代表する漆器職人の町として栄えました。そんな往時からの木曽漆器の歴史と文化を、平沢の職人たちが今日まで繋いでいます。
現代の平沢の職人たちは同時に作家でもあり、それぞれの工房ごとに独自の技法や現代に呼応したデザインを生み出しています。

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緑豊かで雨が多い木曽は多種の樹木が自生し、さまざまな山野草が四季折々に山を飾り、山にはイワナやアマゴが棲む清流が流れます。
愛子さんの工房に置かれたこのオブジェには、漆黒の曲面に伏漆彩沈金でアマゴたちが描かれています。
見る角度によって金色のアマゴたちは鮮やかに浮き立ち、視点を変えるとアマゴたちは夜の川底に沈んでゆきます。
作品に塗り込まれたあでやかな沈金の光と対照的な漆黒の漆の深い影の中に、多くの、さまざまな作品が映り込みます。
乾燥に時間がかかる漆は色のコントロールが難しく、芸術的なセンスや発想だけでなく、経験と根気が必要な作業なのでしょう。ひとつの完成品の裏には、数えきれない試作があるであろうことは想像に難くありません。
気さくなお人柄の愛子さんが生み出すきらびやかな作品のうしろには、長い歳月に積み重ねてきた職人の厳しい顔と思慮の深さが見え隠れします。

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沈金で萩を描いた深さのある文箱は、いぶし銀のような色合い。きりっとしたラインの萩の姿が美しく、伝統とモダンが融合したデザインです。
沈金は、漆を塗った木地の表面を刃物で彫り、その溝に金粉を摺り込んで固定する技法です。沈金の基本は金の他に銀やプラチナ、さまざまな色の顔料を使いますが、現代は色の定着方法もさまざまに工夫され、日本各地の工房で幅広い表現が試されています。

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色漆を使って描かれたカエデの文箱は、艶を消したマットな表現で流れに散る二色の楓が描かれています。日本画を思わせる、抑えた、かつ艶やかな色合いです。

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棗「秋茜」

漆芸の茶器には、日本の山野の四季の情景が多く描かれています。木曽の厳しくも豊かな自然が、愛子さんのモチーフになっています。

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棗「秋草図」

萩、すすき、女郎花などの秋の草花を描いた銀色の棗。金属を思わせる棗の色は、現代のモダンな住宅にもマッチしそうですね。

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訪れたこの日は、工房のギャラリーの一角には棗や宝珠などの様々な茶器が展示されていました。

沈金刀で描く、光と影を操る独自技法「伏漆彩沈金」

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葦の葉にとまる糸とんぼが中央に朧に浮かぶ、伏漆彩沈金の角皿。

伏漆彩沈金は、沈金と出会い、学び、発展させてきた愛子さんが編み出した独自の技法です。
「伏漆彩」と言う名のとおりにさまざまな色の顔料を混ぜた色漆を塗り重ね、沈金刀(沈金用の「のみ」)を使って刃で絵柄を削り出していくのです。この作業を何回も何回も繰り返すことで、深みと温かみのあるファジーで絵画的な表現を可能にしています。
職人としての経験と技術力に裏打ちされた作品は、工芸、絵画と言うジャンルを超えたアートとして観る人の心に響いてきます。
そして愛子さんが発表される新作は常に、変化し続けているように感じます。
立ち止まらずに歩き続ける愛子さんの挑戦に、終わりはないのかもしれません。

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※作品は石本さんの許可をいただいて撮影しました。


イベントレポート(竹中大工道具館)

道の駅・木曽ならかわ~人×漆 対談 石本玉水


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