「信州 かやぶき民家」写真集 林 保直さん


真(まこと)を写すと書いて、写真。写真は、ごまかしの効かない現実です(と、思っています)。
それを自分の思い描く被写体に化けさせ、想い、感性、表現力を写し込むのがプロだ(と、思っています)。そんな写真には感動や共感を覚えます。
いつ、どのようにしてシャッターを押すか。その瞬間に自分の仕事の誇りを賭ける・・・と、いつの時代も世間から見た写真家(カメラマン)の人物像はカッコイイ。

でも、写真家というしごとは素人の予想以上に「困ってしまう」ことが多いらしいのです。
そうおっしゃるのは、建築写真を撮る自称・職業写真家=私に言わせるとプロカメラマンの、林安直さんです。

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スタジオの作られた環境でない屋内外での被写体の撮影の出来は、光と天気によって左右されます。早朝、真昼、夕刻、月夜、闇夜、青空、曇り空、雨模様、雪模様・・・お日様のご機嫌とお天気だけは写真家にはどうにもなりません。

でもデジタル全盛の今、素人でも「とりあえず写っていれば」簡単に補正・合成・色あわせができる画像処理ソフトが日々進化を続けているから、もしかしたらあんまり「困らない」人もいるのかもしれません。

写真家道30年以上の林さんも、もちろん今はデジタルでの仕事がほとんどだそうです。それでも被写体に向き合うとき林さんはやはり、「困って」いるみたいで…むろん、ただ困っているわけではないようですが。
よい仕事をしようと思うから、妥協をしたくない。しかもそこにはクライアントの要望と被写体の都合がある制限の多い現場です。「個性」とか「表現の自由」と言ういいわけは、この仕事には効きません。
お天気とスケジュールをにらみつつ時を選び、時には何度も足をはこび、それでも納得がいかず苦しむ。
プロとしての意識とクライアントへの気づかいがそうさせるのでしょう。

信州 かやぶき民家 1979~1992

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そんな想いが、そのとき林さんにシャッターを押させなかった理由のひとつなのかもしれない、と思います。

『「この建物は、雪の日に撮ろう」「あの建物は、手前に田植え風景を入れよう」「これは、ピーカンではない曇った日に撮ろう」、(中略)ゆっくり撮ろうと思っていた建物も、気がつくと、ほとんどが取り壊されていた。「確か、この辺にあったんだが…」その消えた建物の前で、何度も地団駄を踏んだ。「ああ、あの時に撮っておけばよかった」あちこちで何度も後悔した。』(しなのき出版『信州 かやぶき民家』より抜粋)

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建築へのリスペクトがあったからこそ、林さんは絶好の条件で、時間をかけて、建物だけでなく空気感、情景さえ取り込んで撮影しようと考えたのでしょう。
プライベートで1980年頃から古民家の写真を取り始めた林さんですが、当時ですら『撮り始めるのが遅かった』と言います。
さらに、『1万数千枚を超すネガがあっても、撮り足りなかった古い建物たちがあった』とも。
そして2001年、それらを林さんはご自身のウエブサイトで「信州の民家」として公開しました(現在は閉鎖されています)。

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『70年代80年代は、古い建物が急激に減少した。そのスピードはすさまじかった。撮るスピードよりはるかに速いのである。あれよあれよと、古い建物が目の前から消えていった。撮ろうと思っていた建物が、シャッターを押す前にどんどんと消えていったのである』ウエブサイト「信州の民家」2003年の雑感より

そして2006年、ウエブサイトで公開されていた林さんが撮影した古い建物たちは、1冊のモノクロ写真集になりました。

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長野県内で撮影された茅葺の民家や土蔵、町並み、石垣、また細部のショット(たとえば屋根や昔の便所)など、様々な古い建物の写真集です。
この本の中には、林さんが1979年から1992年までの間に撮影した中からよりすぐられた227点が掲載されています。
写真ごとに年代と解説がつけられ、要所では細かな説明もあります。この「信州 かやぶき民家」という本は、歴史資料、建築資料、民俗資料、地方文化資料としても大変価値のある一冊となっている、私はそう思います。
また、いえしかし、単に資料としての目的にのみ撮られたものでないがために、一枚一枚の写真にシャッターを押した瞬間の林さんの想いが写し籠められ、だからこそめくるページすべてには、古い映画の一こまを見ているかのような懐かしく、深い味わいがあるのです。

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さりげなく、しかし意図して一緒に写し込まれた農夫や農具に、満開の梅の花に、道行く人に、「その時、その時代」の土の匂いをかぎ、日の光を感じ、通り過ぎる自転車のベルの音を聞くことができます。
雑貨店の前を歩く女の子の可愛らしさにくすりと笑ったり、玄関横の丸見えの便所にへぇこんなところでと感心したり、背をまるめて畑仕事をする人の横の朽ちかけた民家に生活の苦しさを、山深く急峻な土地に建った民家の屋根の横を歩く人の笑顔に逞しさを感じたりするのです。

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そしていま、この写真集に収められた家のほとんどは、存在していません。
手にずしりと感じるこの本に、時の重さがかさなります。

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林さんのエッセイ「雑感」を読んでいると、ご家族にめろめろなのがよくわかります。そしてきっとそれを口に出しては言わないのでしょう。かつて、日本の殿方は多くがそうでした。
今、林さんは厨房にも入るし、床も磨くのだそう。超羨ましい…やっぱりご家族にめろめろだから、なのでしょうね。
撮影に同行され、ネガの整理をして公私共に林さんを支えて来られた林夫人の力は、これまでもこれからも林さんにとって大きな励みになっていることでしょう。

『信州 かやぶき民家』は気概のある出版社と林さんご夫婦がこの世に生み出した、後世に残る仕事なんだ。私はそう思っています。
私にとっては資料としてはもちろん、ひとときのタイムスリップを楽しみ、そして記憶の底に沈んで消えてしまいそうな私の子供時代を取り戻すための、とても大切な本なのです。

職業としての写真と、自らの意思で撮った写真。
きっかけは違っても、シャッターを押すとき、その対象への林さんの想いは同じなのだと思います。
なぜなら、ファインダーのむこうの林さんのまなざしは、とても暖かいのだから。

畑へ行く少年  1970年
「畑へ行く少年」1970年 林さんのウエブサイト「信州の民家」より


林写真事務所

信州かやぶき民家 1979~1992(しなのき書房)


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