ランド・ネットに寄せて

 〜誠意を持って行動する人たち〜

この記事は、建築資料研究社・刊/龍居庭園研究所・編 「庭 186号(2009年3月発行)・街路樹は微笑む」に「損得よりも誠意で行動する人たち」というタイトルで掲載されたものです。

主な内容は「ランド・ネット」というこのサイトを作ったいきさつですが、街路樹というよりも『人』の話になっています。

心が動けば行動に出るのが人。そんな人の指針となるのはやはり、『 誠意と誇りで動く人』なのではないでしょうか。

2010年11月

 

森林危機、気象危機、農業危機、食料危機、軍事危機、医療危機、経済危機、金融危機・・・今、世界中で、毎日のように「危機」と言う言葉が叫ばれています。

この言葉が使われ始めたのは、いつだったのでしょう。

「平均的に」豊かな筈だったこの日本で今、少なからぬ大人達が今日の食い扶持すら心配し、多くの子供達は土から離れて遊びます。

大人も子供も他を顧みるゆとりを失い、できるだけ他人とかかわらずに生きていく道を選ぶ。そんな人の苦しみや痛みにすら鈍感になってしまった人たちは、ましてや道の脇で立ち枯れた木々に関心を示すことも、目を向けることもできないでしょう。・・・以前の私が、そうであったように。

そんな私が悲しい街の木々たちに目を向けたきっかけは、ある人と交わした些細な会話からでした。街路樹に対して世間の大多数の人と同じように「道路の付帯物」という認識しか持っていなかった私の考えは変わり、その経緯を自分のサイトの中のエッセイとして書きました。

 

それから二年ほど経ったある日、いつものように開いたパソコン画面に一通のメールが着信していました。秋田からのその「手紙」は、インターネット文化が浸透してからあまり見られなくなった生真面目で改まった「はじめまして」の自己紹介の挨拶で始まっていました。

その福岡さんからのメールは、私のサイト中のエッセイ「悲しいケヤキ」に触れ「記事に共感して、思わず」メールをしました・・・と書かれていました。

その文面から受けた印象は『一本気で真摯な親方さん』。メールに記されたサイトを見ると、そこには仕事の紹介だけでなく、環境や街路樹への想いが真剣で熱のある口調で語られていました。実際に役所を訪ねて会話をしたり、投稿をして自らの考えを世に問うたりと、福岡さんは発言力も行動力も伴った、『熱い』方でした。

しかし、「共感」と言う言葉をいただいて嬉しく思うのと同時に、独り言のような文章を書いた後は何をするでもなく日常に埋もれていた私は、正直戸惑ってもいました。

 

そのころの私は、なんとか仕事として絵を受注できる状態になったばかり。仕事がほとんど無い中ただ過ぎていく時間がいたたまれずに、教科書を片手に乏しい内容でサイトを開設し書いたエッセイが「悲しいケヤキ」だったのです。

書いただけで後にも先にも何の行動も伴わない私が、有言実行の人からの真剣な手紙に、どんな言葉を返したら良いのだろう・・・。この時は結局、ありきたりな返信しかできなかったように覚えています。

福岡さんのメールを読みながら、私は富山の新樹造園・河合さんのことを思い浮かべていました。以前からご自身のサイトや現場で街路樹の実情を取り上げ、世論を喚起させようと奮闘されている方で、街路樹の剪定に対する考えや想いはとても通ずるものがあるように思いました。

それから、街路樹を想う同志として、仕事に対する想いも同じ親方さん同士として、河合さんと福岡さんの交流が始まったいきさつは自然な流れだったのでしょう。

 

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