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造園業のよもやま話
その8 広告と「本物」感覚のズレ 。。。 2006.4.8

 松本空港の隣接公園、信州スカイパークのやまびこドームで「エクステリアフェア」を開くと言うので、空いていそうな午前中にぱっぱと行ってこようと10時頃家を出た。
 エクステリアは興味と情報不足で苦手な私、それでも問い合わせがあれば答えなければならない。あまりの不勉強と流行知らずではマズイ、市場動向を見てこないと(笑)。
 着いて見たら、空いているどころか大入りの盛況。不況とは言えバブルが終わり建築戸数も順調に伸びているようだし、雨の振る日の朝からこの人手となれば主催サイドは喜んでいることだろう。
 庭を新規で造るとき、エクステリア製品をまったく使わない人のほうが少ないとは思うが、アルミ製品やコンクリート製品やプラスチック製品を使わなくても、庭はできる。 こういったものは材料費も高いし工事費もそれなりだから、カーポート一棟建てても十数万以上だし、フェンスも選ばなければ安いが、見た目の良いものはかなり高価だ。
 自然志向、回帰思考の今の世の流れだろうか、「古びた木の色合いを再現したプラスティックやアルミ製品」「本物の木のような作り物の木」「天然の素材を合成素材とミックスした、耐久性のある合成製品」もあらゆるメーカーからたくさんの商品が出ている。
 まったく個人の感想だけれど、いくらそっくりに模したとしても、美的な部分を強調した宣伝をしても、作り物の製品では「本当の美しさを感じる心」は生まれないと思っている。
 作り物しか知らない「目」で見れば、そうして作られた商品は「いい雰囲気」であるかもしれない。けれどそこには「真実だけが持つ迫力」と「美しさ」は無い。
 長持ちして腐らないほうがいい、最近の製品はリサイクルもできるし、という一見合理的でエコロジカルに思える考えが、私たちがよりどころとするはずのものから、私たちをどんどん引き離してゆく原因にならないのだろうか。
 富山のある造園屋さんの親方が、プラスチック製の竹垣を希望する施主さんを説得して、本物の竹で竹垣を作ってしまった例がある。 言うは易しだが、現場にいる業者の立場から見ると希少な例だと思う。この親方さんの意識と勇気には敬服するし、庭造りの姿勢に対しての理解を施主さんに求めることの大切さはさかっていても、そのことに費やすエネルギーとストレスを考えると、理想はあっても施主の意向を覆す提案はとてもしにくいものだ。
 天然のものにこだわって、どこにでもどんな現場でも、木や竹や石を使え、とは思わない。  住宅も、環境も、様々な今、アルミ製品や合成樹脂やコンクリートは無くてはならないアイテムのひとつだと思う。  「本物の竹を」と言ったこの親方さんだって、この現場だったからプラスチックは使えないと考えたのだろう。何でも臨機応変、適材適所でよいと思う。
 だからこそ、なぜ「古びて味のある朽ちた風合い」を人工の素材で表現するために高価な開発費をかけ、高価な宣伝費をかけて告知し、それを薦めることに、もっと多くの人たちが疑問を感じないのか、私は不思議だ。  それを「不自然」と感じる施主はいないのだろうか。

 宣伝、と言えば…。
 建築の世界では、高価なはずの日本の人件費で建てられようはずの無い安価な価格の物件を業者が美麗なカタログで宣伝、完売し、しかしそれがひどい欠陥工事で、数年で問題が出る構造になっていたり…というのがどんどんと表ざたになっている。
 当然のことだがこの「事件」は「違法」であり「詐欺」だ。でも現実は、こんな「事」は私たちの周りにごろごろ転がっている。
 批判覚悟の、あくまでも私個人の考えだけれど、その物件の「価格」に「疑問」を感じない施主サイドに、問題はなかったのだろうか…。美しい文字で印刷されたに活字が並び、素晴らしい外見や完璧な構造図が記載された美しいカタログ。それを手に取りながら「では、なぜそんな価格で?」とは思わなかったのだろうか。
 良い技術を安く提供するのは企業努力の一つとは思うが、材料の質も人件費も時間も「それ以上落とせないライン」というのは必ずあるはずだ。 「価格」ではなく、「技術」で判断しなければならない。それが素人にとってどんなに難しいことでも、自分自身の買い物ならば、努力をおしまず情報を集める努力をしなければならない。
 とは言え、もっと問題があるのは「本物」の判断がとても難しい、今の世の中だけれど…。なぜならその情報が、たとえカタログの活字になっていても、たとえ相手が「絶対に真実」と言っても、すべて疑ってかかれ、という「非道徳的」な考え方なのだから。
 造園や外構の世界でも、悲しいかな、少なからず同じことがある。手間や技術が必要な仕事なのに、価格が「安い」時はまず、疑ってかかったほうがいい。どこかに「安い」なりの理由があるんじゃないだろうか。
 想像よりも「高い」と感じた時、人は、「ふっかけられてるんじゃないだろうか」「儲け過ぎじゃないか」と疑ってかかる。それと同じだ。そう感じたら「なぜ高いか」を調べてみたらいい。
 見積もりが高ければよい仕事をする、ということではないが、いずれにせよ「何故(なぜ)」という気持ちを忘れることは恐ろしいことだ。どんな事柄にも「なぜ、そうなるのか」「なぜ、そうできるのか」「以前は、どうだったのか」「では、どうすれば良いのか」と、「なぜ?」考えておくに越したことはない、と思っている。
 そう考えることが、それぞれの「良い未来」につながって行くと信じたい。

朽ちた竹から山の清水が流れ出る
●参考リンク  新樹造園HP → 竹垣と竹

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