造園業のよもやま話
その10 「美しい絵」と現場の感性 。。。 2006.7.3
私の名刺入れには、二種類の名刺が入っています。
広告・印刷業界の方々には「イラスト・DTPデザイン」の名刺を、またそれ以外の方々には「庭園設計」の名刺をお渡ししています。
そのせいでしょうか。大々的に看板を上げていない家内職の私にも、年に数回、庭造りの相談話がくることがあります。殆どの「相談」はおしゃべりだけで解決しますが、そのなかにも、私に音頭をとって欲しいと言って下さる方がいらっしゃいます。
そしてそんな風に始まる「庭作り」のなかでの私のポジション=仕事は、施主と施工業者(作庭師)の間の意思疎通を図る「通訳」のようなもの、と思っています。今の私の実力は、目指す「設計士」のイメージとは程遠い、ということもありますが施主と業者、お互いの言葉を絵に代えて理解を深めるお手伝いならば、自分にもできるのではないか…と考えているからです。
…でもそう思っているのは私だけで、施主も作庭師も絵を描き、見積りをとったら、後は工事中の現場をふらふらしているのが「仕事」だと思っているのでしょうね、きっと。
さて逆に、作庭師から「通訳(要するにプランの絵)」を頼まれることもあります。それは諸事情により作庭師が「お手上げ」になってしまった時で、その事情とは「ちょっと忙しくて絵を描く暇が無くて…」とか、最近の「庭」に関する流行が、昔ながらの作庭師にとっては理解に苦しむものがある、とか、また施主が一家の主である男性から主婦である女性へと変わってきたこと(女性の前に出るととたんに口下手になる方もいらしたりして…いや逆のほうが多いかな??)などです。
同じ日本人同士、通訳がなくとも会話は成立するはずですが、施主サイドと作庭師サイドには、どうやら深い深い「溝」があるようです。
昔の唄に似たようなのがありましたね。「男ーと女ーの間ーにはー 深ーくーて暗ーい 河ーがーあるー」…でしたっけ?男女の仲に例えるわけではありませんが、それだけ考え方や立場にギャップがあるように思います。
どんな間柄でも、相手の立場を思いやる心と意思の疎通無くして、信頼関係は生まれないと思っています。双方に信頼関係が生まれてこそ、理想の庭造りができる。…今はそれが難しい世の中なのでしょうか?
もちろん、「通訳」などを必要としない場合が殆どでしょうし、総てにおいてそんな庭作りができれば理想的だ、と思うのですが。
さて、庭の見積りに完成予想図の絵をつける、というのは作庭師さんもむかしからやってきたことですが、最近の「絵」はどうも本来の目的から外れているように思えます。私も多くのそんな絵を描いてきましたし、施主がそういった絵を求める傾向もあります。そのためか、「美しい絵」を看板にする業者も少なくありません。
業者が施主に提案する「絵」はあくまでも双方のイメージ違いを避けるためのものでよいと思っています。心を込めて庭を作ろうとしている人の描いた絵なら、それはどんな筆使いでも「想い」がこもっているはず。その「想い」は見る人に伝わるでしょう。
けれど「絵」をより美しく、より正確に描こうとすることや、また施主の意向が変わるたび簡単に何度も描きなおしてしまうことに、私は意味を感じることができません。
初めて造園業というものに係わって、夢中になってそんな「絵」を描いていた頃は思いもしなかったそんなことを、このごろ私は考えるようになりました。
実際のところ「庭」とは、土を耕し、水を引き、石を並べ、木を植える人が造り出すものでしょうし、プロとしてそれを請け負うならば、それらひとつひとつに対する知識や経験は無くてはならないものでしょう。
けれど、設計サイドや現場の作庭師、作り手全てに必要なこと、「庭造り」にとって大切なことは、庭とそこに集う人たちに対する思いやりと、現場に立った時、ひとつの石、一本の木、一本の草に対して発揮される「感性」ではないでしょうか。
見積りと共に渡される立面図がどんなに美しく描かれた「庭の絵」でも、そこからは、そんな「大切なもの」は見えてきません。
また、絵は作庭師を前提として描かれるべきではないかと思っています。作庭師が替われば絵も変わる筈です。
私だったら、たとえ木を一本植えるだけでも、その一本の木に対する想いがある人に、植えてもらいたい。どんな人が私の木を植えてくれるのか知りたい…そう思うからです。
そして設計士やプランナーは、図面を絶対視せず、現場が活き活きと動いてゆくような目には見えない「間」を絵に取り入れるべきなのではないでしょうか。絵には見えない「間」にこそ、作庭師の「感性」が入り込む余地が生まれると思います。
今の私は、施主と作庭師の間の「通訳」という仕事をスムーズにする道具のひとつとして、絵を描いています。また、見積りは私の独断では出ません。…出せない、とも言うかな(笑)…作庭師と相談しながら、ベストなプランと見積りを作り、それに私が平面図と簡単な立面図をつけて、施主に提出します。
仮にその見積りと絵とで契約となったとしても、その後(工事着工後)に内容が変わってゆくことは珍しくありません。作庭師が石や木を見て、配置を変えることもありますし、最初はまったくイメージが湧かなかった施主から、アイディアが出てくることもあります。
掘ってみた地盤の状況や埋設物によっては、予定を変えなければならなくなる場合もあるでしょう。
施主と作庭師の間に信頼関係が生まれていて、予算の増減がなければ施主も私もある程度、現場におまかせです(ただし「増工=施主の希望で工事が追加されること」の時だけは、現場が止まらないように、大慌てで施主と金額の交渉をしたり、走り廻らなければなりませんが)。
完成が近づくにつれて表れ、確かになってゆく庭の表情…そんな意外性も庭作りの醍醐味のひとつだと思います。
もちろん現場によって事情は異なりますし、種々様々な「庭」の形がある現在「作庭」の捉え方も考え方も、人それぞれなのでしょうけれど…。
また今は、昔ながらの延段や石積みなどは作庭に取り入れられることも少なくなりました。仕立物の松よりも、最初から形の整った洋種のヒバやサワラが似合う家が多くなりました。
昔ながらの技法を学びたくても機会がない、そんな若い方の声も聞こえてきます。
けれど、木を一本植えるにも、花壇のレンガを組むにも、既成の舗装材を使うにも、足元に草花をあしらうのにも、作り手の気持ちひとつで似通ったものに見えてしまうか、活き活きとした個性的なものになるか、分かれるところだと思います。
職人技と言われる石組みや敷石の技法は、確かにそんな現場が無くては学ぶことも不可能に思われますが、山や川を歩き岩肌に張り付く松やカエデを見上げ、渓流の苔むした石に触れたり、または各地の庭園、個人のお庭を訪ねるなどして、自分の感性を研ぎ澄ませることは可能でしょう。
ちょっと余談になりますが、自身の経験や様々な人との出会いから、私が思い浮かべることがあります。誰もが見えない「アンテナ」を頭のてっぺんに生やしているのじゃないか、と。そのアンテナの感度は人それぞれで、強く意識しなければ反応せず、だからその存在に気が付かない。
けれど、何かを望んで常にそれを「意識」していれば、本当ならば気づかずに流れていってしまうようなささやかな「出会い」にアンテナが反応し、自然と引き寄せられてゆくのではないかと思っています。それは見知らぬ誰かかもしれませんし、道ばたの石ころかもしれません。
だから一見チャンスが多く運が良さそうに見える人は、そのアンテナの感度が高い人なのではないかな、とも思います。
そんなことを言う私はここ数年日々の雑事に紛れ、それを理由にたたんだアンテナは錆び付き、反省することしきり。
これからは今以上に感動するものに出会うため「アンテナ」の感度を上げて、何かをキャッチしたら忙しいとか眠いとか言わずに、迷わずその方向に進もう…少なくともそう心がけよう、と思っています。
とは言っても年を追うごとに、ますます造園業の経営は厳しさを増しているようです。世の中の品物は殆どが規格化され、安くて手軽なものがどこでも簡単に手に入ります。庭造りの材料でさえ…そして「感性」では食えぬとばかり、どの業界も皆日々の糧を追うことに精一杯、自分さえよければ隣はどうでも…という人間も少なくありません。
この先、庭を作るべき「地面」はどうなるのでしょう。「土」の上は舗装され、先祖代々の木は切られ管理の仕事も減るでしょう。作ることのできる場所は「壁」か「屋上」か…。そんな世の中を、悲しいと思うのは私だけでしょうか。
そんな私の気持ちを少し明るくしてくれた話がありました。
今、作り手の「顔」の見える商品(仕事)を求める人たちが増えてきている、というニュースです。そう言われてみれば確かに、地産地消、産直がもてはやされ、各地の道の駅で名前入りの製品が売られていたりと、大量販売の安価なものを求める風潮が(少しずつですが)変わってきているように思うのです。
それが一時の流行でないのなら、これからは施主の理解が深まって、庭の世界にも「現場の感性」が今以上に求められる時代が来るかもしれません。
それを裏付けるように、各地ではとっても魅力的な作庭師たちが頑張っています。
「顔を合わせて話す」会話でなく、「メール」が会話という現代のコミュニケーションに否定的だった私ですが、そのおかげで私のような立場の者にも、心を開いて話をしてくださる作庭師さんたちと出会うことができました。そう、今はインターネットというものを通じて遠い場所に住むその方々の「人となり」を知ることもできる、すごい時代…と言えるのかもしれません。
全国には多くの作庭師がいて、ホームページを開いている人たちはほんの一部でしょうけれど、そんな方々の声がもっと広く、もっと遠くまで届き、それが業種という枠を超えてこれからの世の中に夢を与えてくれることを願わずにはいられません。
さて、私はと言うと現場で学ばなければ成長も無いわけで、年に一度ペースの庭造りの話が来るたびに「よく(依頼が)来たな」と思い、その現場が終わるたびに「これが最後かな」と思い、しかも今回のテーマは自分の首を絞めているようなもんだな…と思い…ますます「造園業」への感慨は、深まってゆくのです。
[参考リンク]
作庭師さんに「敷居が高い」「頑固で偏屈」というイメージをお持ちの方、いらっしゃるかと思います。確かに見た目そういった方もいなくは無い(笑)でしょうけれど、お話してみればみなさん、どちらかと言うとお人が良くて話好き、熱血な方が多いように思います。
ご紹介した作庭師さんは一度もお会いしたことのない、画面の向こうの(遠いところの)方々ですが、この方々のサイトはそんな皆さんのイメージを変えるかもしれません。ご年齢が30代、40代といった方も…。(あくまでも私が今、知り得た範囲での方々です。全国には多くの作庭師がいらっいますし、ご自身のホームページを持つ方は稀です。興味を持たれた方は専門誌などを参考にしてください。)
・秋田県/福岡造園 (福岡さん)…造形的なセンスの作庭は現場に立ち土に触れて創られていったもの。石や木、砂や土までできる限り地元の材料を使い、さらに敷地内から出た石、土、打ち捨てられた古い道具ひとつも無駄にせず庭に活かそうとする心使いには福岡さんの筋の通ったポリシーと、大きな優しさを感じます。施主にとって良いこととは何か常に考え続ける真摯な方。
・千葉県/高田造園事務所 (高田さん)…インターネットから作庭師さんの情報を得るのは簡単なようでいて難しいことです。作庭を拝見し、そして1969年生まれの方と知り本当に驚きました。自然の材料を最大限に活かした庭の表情は、画面を通じて見ているだけでも感性が刺激されます。伝統的な技法も率先して取り入れられ、素晴らしい技術もお持ちの高田さんです。
・福島県/北郷創庭舎 (北郷さん)…これほどまでに施主の気持ちに立って作られたサイトは無い、というほど全てのページから得るものは多いはず。なかなか聞きにくい見積り例や無駄の無い工事の段取りが、わかりやすく解説されています。作庭のセンスも素晴らしく、様々なニーズに対応した確かな仕事ぶりがうかがえます。
・京都府/庭 遊庵 (田島さん)…伝統と格式を重んじる京都という風土のなかで、里山の知恵を活かした徹底した「循環型」の庭を創り続ける田島さん。「雑木」と言われる山の木はイメージ先行で使われることが多い中、この方の作る庭は本当の山の知恵を活かした「バランス」を取り続ける庭、生き死にを繰り返してゆく庭だと思いました。
・東京都/藤倉造園設計事務所 (藤倉さん)…多様化する施主の望みにいかに応え、どうオリジナリティーを出すか…難しい庭作りが迫られる今、細やかな工夫を凝らした温かみのある作庭をされています。作庭の写真を拝見して、昔からずっと、そこにあったかのような庭に懐かしさを感じました。
・富山県/新樹造園 (河合さん)…インターネットで拝見(発見)した時は感動しました。懐は深く、見識も広い方で、私も何かとお世話になっています。
画像提供:(有)新樹造園
私の名刺入れには、二種類の名刺が入っています。
広告・印刷業界の方々には「イラスト・DTPデザイン」の名刺を、またそれ以外の方々には「庭園設計」の名刺をお渡ししています。
そのせいでしょうか。大々的に看板を上げていない家内職の私にも、年に数回、庭造りの相談話がくることがあります。殆どの「相談」はおしゃべりだけで解決しますが、そのなかにも、私に音頭をとって欲しいと言って下さる方がいらっしゃいます。
そしてそんな風に始まる「庭作り」のなかでの私のポジション=仕事は、施主と施工業者(作庭師)の間の意思疎通を図る「通訳」のようなもの、と思っています。今の私の実力は、目指す「設計士」のイメージとは程遠い、ということもありますが施主と業者、お互いの言葉を絵に代えて理解を深めるお手伝いならば、自分にもできるのではないか…と考えているからです。
…でもそう思っているのは私だけで、施主も作庭師も絵を描き、見積りをとったら、後は工事中の現場をふらふらしているのが「仕事」だと思っているのでしょうね、きっと。
さて逆に、作庭師から「通訳(要するにプランの絵)」を頼まれることもあります。それは諸事情により作庭師が「お手上げ」になってしまった時で、その事情とは「ちょっと忙しくて絵を描く暇が無くて…」とか、最近の「庭」に関する流行が、昔ながらの作庭師にとっては理解に苦しむものがある、とか、また施主が一家の主である男性から主婦である女性へと変わってきたこと(女性の前に出るととたんに口下手になる方もいらしたりして…いや逆のほうが多いかな??)などです。
同じ日本人同士、通訳がなくとも会話は成立するはずですが、施主サイドと作庭師サイドには、どうやら深い深い「溝」があるようです。
昔の唄に似たようなのがありましたね。「男ーと女ーの間ーにはー 深ーくーて暗ーい 河ーがーあるー」…でしたっけ?男女の仲に例えるわけではありませんが、それだけ考え方や立場にギャップがあるように思います。
どんな間柄でも、相手の立場を思いやる心と意思の疎通無くして、信頼関係は生まれないと思っています。双方に信頼関係が生まれてこそ、理想の庭造りができる。…今はそれが難しい世の中なのでしょうか?
もちろん、「通訳」などを必要としない場合が殆どでしょうし、総てにおいてそんな庭作りができれば理想的だ、と思うのですが。
さて、庭の見積りに完成予想図の絵をつける、というのは作庭師さんもむかしからやってきたことですが、最近の「絵」はどうも本来の目的から外れているように思えます。私も多くのそんな絵を描いてきましたし、施主がそういった絵を求める傾向もあります。そのためか、「美しい絵」を看板にする業者も少なくありません。
業者が施主に提案する「絵」はあくまでも双方のイメージ違いを避けるためのものでよいと思っています。心を込めて庭を作ろうとしている人の描いた絵なら、それはどんな筆使いでも「想い」がこもっているはず。その「想い」は見る人に伝わるでしょう。
けれど「絵」をより美しく、より正確に描こうとすることや、また施主の意向が変わるたび簡単に何度も描きなおしてしまうことに、私は意味を感じることができません。
初めて造園業というものに係わって、夢中になってそんな「絵」を描いていた頃は思いもしなかったそんなことを、このごろ私は考えるようになりました。
実際のところ「庭」とは、土を耕し、水を引き、石を並べ、木を植える人が造り出すものでしょうし、プロとしてそれを請け負うならば、それらひとつひとつに対する知識や経験は無くてはならないものでしょう。
けれど、設計サイドや現場の作庭師、作り手全てに必要なこと、「庭造り」にとって大切なことは、庭とそこに集う人たちに対する思いやりと、現場に立った時、ひとつの石、一本の木、一本の草に対して発揮される「感性」ではないでしょうか。
見積りと共に渡される立面図がどんなに美しく描かれた「庭の絵」でも、そこからは、そんな「大切なもの」は見えてきません。
また、絵は作庭師を前提として描かれるべきではないかと思っています。作庭師が替われば絵も変わる筈です。
私だったら、たとえ木を一本植えるだけでも、その一本の木に対する想いがある人に、植えてもらいたい。どんな人が私の木を植えてくれるのか知りたい…そう思うからです。
そして設計士やプランナーは、図面を絶対視せず、現場が活き活きと動いてゆくような目には見えない「間」を絵に取り入れるべきなのではないでしょうか。絵には見えない「間」にこそ、作庭師の「感性」が入り込む余地が生まれると思います。
今の私は、施主と作庭師の間の「通訳」という仕事をスムーズにする道具のひとつとして、絵を描いています。また、見積りは私の独断では出ません。…出せない、とも言うかな(笑)…作庭師と相談しながら、ベストなプランと見積りを作り、それに私が平面図と簡単な立面図をつけて、施主に提出します。
仮にその見積りと絵とで契約となったとしても、その後(工事着工後)に内容が変わってゆくことは珍しくありません。作庭師が石や木を見て、配置を変えることもありますし、最初はまったくイメージが湧かなかった施主から、アイディアが出てくることもあります。
掘ってみた地盤の状況や埋設物によっては、予定を変えなければならなくなる場合もあるでしょう。
施主と作庭師の間に信頼関係が生まれていて、予算の増減がなければ施主も私もある程度、現場におまかせです(ただし「増工=施主の希望で工事が追加されること」の時だけは、現場が止まらないように、大慌てで施主と金額の交渉をしたり、走り廻らなければなりませんが)。
完成が近づくにつれて表れ、確かになってゆく庭の表情…そんな意外性も庭作りの醍醐味のひとつだと思います。
もちろん現場によって事情は異なりますし、種々様々な「庭」の形がある現在「作庭」の捉え方も考え方も、人それぞれなのでしょうけれど…。
また今は、昔ながらの延段や石積みなどは作庭に取り入れられることも少なくなりました。仕立物の松よりも、最初から形の整った洋種のヒバやサワラが似合う家が多くなりました。
昔ながらの技法を学びたくても機会がない、そんな若い方の声も聞こえてきます。
けれど、木を一本植えるにも、花壇のレンガを組むにも、既成の舗装材を使うにも、足元に草花をあしらうのにも、作り手の気持ちひとつで似通ったものに見えてしまうか、活き活きとした個性的なものになるか、分かれるところだと思います。
職人技と言われる石組みや敷石の技法は、確かにそんな現場が無くては学ぶことも不可能に思われますが、山や川を歩き岩肌に張り付く松やカエデを見上げ、渓流の苔むした石に触れたり、または各地の庭園、個人のお庭を訪ねるなどして、自分の感性を研ぎ澄ませることは可能でしょう。
ちょっと余談になりますが、自身の経験や様々な人との出会いから、私が思い浮かべることがあります。誰もが見えない「アンテナ」を頭のてっぺんに生やしているのじゃないか、と。そのアンテナの感度は人それぞれで、強く意識しなければ反応せず、だからその存在に気が付かない。
けれど、何かを望んで常にそれを「意識」していれば、本当ならば気づかずに流れていってしまうようなささやかな「出会い」にアンテナが反応し、自然と引き寄せられてゆくのではないかと思っています。それは見知らぬ誰かかもしれませんし、道ばたの石ころかもしれません。
だから一見チャンスが多く運が良さそうに見える人は、そのアンテナの感度が高い人なのではないかな、とも思います。
そんなことを言う私はここ数年日々の雑事に紛れ、それを理由にたたんだアンテナは錆び付き、反省することしきり。
これからは今以上に感動するものに出会うため「アンテナ」の感度を上げて、何かをキャッチしたら忙しいとか眠いとか言わずに、迷わずその方向に進もう…少なくともそう心がけよう、と思っています。
とは言っても年を追うごとに、ますます造園業の経営は厳しさを増しているようです。世の中の品物は殆どが規格化され、安くて手軽なものがどこでも簡単に手に入ります。庭造りの材料でさえ…そして「感性」では食えぬとばかり、どの業界も皆日々の糧を追うことに精一杯、自分さえよければ隣はどうでも…という人間も少なくありません。
この先、庭を作るべき「地面」はどうなるのでしょう。「土」の上は舗装され、先祖代々の木は切られ管理の仕事も減るでしょう。作ることのできる場所は「壁」か「屋上」か…。そんな世の中を、悲しいと思うのは私だけでしょうか。
そんな私の気持ちを少し明るくしてくれた話がありました。
今、作り手の「顔」の見える商品(仕事)を求める人たちが増えてきている、というニュースです。そう言われてみれば確かに、地産地消、産直がもてはやされ、各地の道の駅で名前入りの製品が売られていたりと、大量販売の安価なものを求める風潮が(少しずつですが)変わってきているように思うのです。
それが一時の流行でないのなら、これからは施主の理解が深まって、庭の世界にも「現場の感性」が今以上に求められる時代が来るかもしれません。
それを裏付けるように、各地ではとっても魅力的な作庭師たちが頑張っています。
「顔を合わせて話す」会話でなく、「メール」が会話という現代のコミュニケーションに否定的だった私ですが、そのおかげで私のような立場の者にも、心を開いて話をしてくださる作庭師さんたちと出会うことができました。そう、今はインターネットというものを通じて遠い場所に住むその方々の「人となり」を知ることもできる、すごい時代…と言えるのかもしれません。
全国には多くの作庭師がいて、ホームページを開いている人たちはほんの一部でしょうけれど、そんな方々の声がもっと広く、もっと遠くまで届き、それが業種という枠を超えてこれからの世の中に夢を与えてくれることを願わずにはいられません。
さて、私はと言うと現場で学ばなければ成長も無いわけで、年に一度ペースの庭造りの話が来るたびに「よく(依頼が)来たな」と思い、その現場が終わるたびに「これが最後かな」と思い、しかも今回のテーマは自分の首を絞めているようなもんだな…と思い…ますます「造園業」への感慨は、深まってゆくのです。
[参考リンク]
作庭師さんに「敷居が高い」「頑固で偏屈」というイメージをお持ちの方、いらっしゃるかと思います。確かに見た目そういった方もいなくは無い(笑)でしょうけれど、お話してみればみなさん、どちらかと言うとお人が良くて話好き、熱血な方が多いように思います。
ご紹介した作庭師さんは一度もお会いしたことのない、画面の向こうの(遠いところの)方々ですが、この方々のサイトはそんな皆さんのイメージを変えるかもしれません。ご年齢が30代、40代といった方も…。(あくまでも私が今、知り得た範囲での方々です。全国には多くの作庭師がいらっいますし、ご自身のホームページを持つ方は稀です。興味を持たれた方は専門誌などを参考にしてください。)
・秋田県/福岡造園 (福岡さん)…造形的なセンスの作庭は現場に立ち土に触れて創られていったもの。石や木、砂や土までできる限り地元の材料を使い、さらに敷地内から出た石、土、打ち捨てられた古い道具ひとつも無駄にせず庭に活かそうとする心使いには福岡さんの筋の通ったポリシーと、大きな優しさを感じます。施主にとって良いこととは何か常に考え続ける真摯な方。
・千葉県/高田造園事務所 (高田さん)…インターネットから作庭師さんの情報を得るのは簡単なようでいて難しいことです。作庭を拝見し、そして1969年生まれの方と知り本当に驚きました。自然の材料を最大限に活かした庭の表情は、画面を通じて見ているだけでも感性が刺激されます。伝統的な技法も率先して取り入れられ、素晴らしい技術もお持ちの高田さんです。
・福島県/北郷創庭舎 (北郷さん)…これほどまでに施主の気持ちに立って作られたサイトは無い、というほど全てのページから得るものは多いはず。なかなか聞きにくい見積り例や無駄の無い工事の段取りが、わかりやすく解説されています。作庭のセンスも素晴らしく、様々なニーズに対応した確かな仕事ぶりがうかがえます。
・京都府/庭 遊庵 (田島さん)…伝統と格式を重んじる京都という風土のなかで、里山の知恵を活かした徹底した「循環型」の庭を創り続ける田島さん。「雑木」と言われる山の木はイメージ先行で使われることが多い中、この方の作る庭は本当の山の知恵を活かした「バランス」を取り続ける庭、生き死にを繰り返してゆく庭だと思いました。
・東京都/藤倉造園設計事務所 (藤倉さん)…多様化する施主の望みにいかに応え、どうオリジナリティーを出すか…難しい庭作りが迫られる今、細やかな工夫を凝らした温かみのある作庭をされています。作庭の写真を拝見して、昔からずっと、そこにあったかのような庭に懐かしさを感じました。
・富山県/新樹造園 (河合さん)…インターネットで拝見(発見)した時は感動しました。懐は深く、見識も広い方で、私も何かとお世話になっています。

画像提供:(有)新樹造園
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この改行が大事だったりする→
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