悲しいケヤキ・その後

 〜業種を超えた「人」と「人」との繋がりを〜

建築資料研究社・刊/龍居庭園研究所・編 「庭 171号」にエッセイ「悲しいケヤキ」、「悲しいケヤキその後」が掲載されました。

このエッセイを書く上でご協力、ご尽力いただいた方々に、この場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

木は私たち人間のように、置かれた環境を自分で変えることはできません。

環境に木を合わせるのではなく、私たちの考え方を変えて、もう一度「木」という物言わぬ生き物に向き合えないものか…と考えています。

2006年9月

 

私が街路樹、という存在をはっきりと意識するようになったのは、「緑陰道路プロジェクト」という新聞記事のファックスがきっかけでした。

正直に白状してしまうとそれまでの私は、暑い夏に街路樹の木陰を選んで歩道を歩く時にありがた味を感じることはあっても、その存在をさほど意識するこはありませんでした。

社会に出てからも、2年ほどしか在籍しなかった造園会社での事務の仕事を通して「仕事の糧」としての街路樹という意識が加わっただけで、やはりそれは私にとって、取り立てて目を向けるほど興味のある存在ではありませんでした。

造園業界を離れてからは尚のこと、剪定工事の風景に目を留めることがあっても、その頃世間で巻き起こりつつあった「街路樹論争」なるものも知りませんでしたし、強選定された街路樹を見ても「仕方がなかったのだろう」程度にしか感じていませんでした。

 

そのファックスは、大阪で建築士として街づくりに係わっていた叔父が、昔私が造園会社にいたことを思い出して送ってくれたものでした。

その内容は、『全国から公募された「モデル地区」で街路樹を剪定しないことについて地域の方々のご理解いただき、(略)、市民の協力をいただきながら、街路樹を剪定しない緑陰道路を管理する(国土交通省のHPより)』という目的のプロジェクトを紹介するものでした。

これを読んだ時、私は叔父に「本末転倒だよ」と言ったような気がします。

 

道路上に植えられた木に対して「剪定せずに」する「管理」というイメージがどうしても頭の中に浮かんできませんでしたし、なぜこんな計画が立ち上がり実行されつつあるのか不思議でした。

…そして初めて、あたりまえにただそこにあった「街路樹」に対して世間の意識が高まってきたことと、また枝をもぎ取られたような、ノコの跡も痛々しい街路樹が日本中に存在していることを知りました。

そして、世論の槍玉に上がっているのは「切った業者」と「行政」であるらしいことも。

そして新聞記事を読んだ時の気持ちの勢いのまま書いたエッセイが「悲しいケヤキ」でした。

タイミング良く、実際に痛々しい剪定を施されたケヤキの並木についてある職人さんが私に話してくれた言葉をそのままお借りして、私のサイトの主な閲覧者である、私と同じ「一家庭の一主婦」に読んでもらうために書いたものでした。

 

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